2011年11月10日木曜日

今月つぶれるブックカフェ


とあるブックカフェに初めて行きました。
ご主人はヒライシさんという方。いつ何時も、スーツでいるのがモットーらしい。
お店にはいってそうそう、
「私は、両刀使いなんですよ。」
と告白されました。バイセクシャル。
「そうなんですか。」
「ここ、ほら、座りなよ。」
「ありがとうございます。」
「人類みな両刀使いなら幸せになるでしょ。」
「なるほど。」
「わたしなんかね、得してますよ。」
「博愛ですね。」
「そうそう。でね、若いころは新宿2丁目で随分遊んでたなぁ。」
「へぇ」
………………..
ブックカフェなので、コークハイを飲みながら適当に選んだ本を読んでいたら、常連さんが現れた。
「どうもどうも!」
「おお、来たか来たか」
「ひらいしさん、この店も今月中なんですか。」
「そうそう。あ、あなたね(僕を指して)この店今月で終わっちゃうんだ。」
初めて来たお店が、一ヶ月以内に潰れてしまうなんて、まるで自分が貧乏神になったような気分。
「(本を指して)こいつらの嫁ぎ先をさ、ほら見つけなくちゃ。」
………………..
ヒライシさんは、落胆している感じを見せてなかったけど、メガネの奥ではちょっとウルッときてたように見えた。
僕はといえば、ウルッとはこなかったけど、せめてヒライシさんによって選ばれた多くの本達には、良い嫁ぎ先が見つかればいいなと思うばかりだった。
で、この本を嫁にもらうことにした。
ヒライシさんが選んでくれたので、じっくりと読んでみようと思う。
…………………..
ちなみにこっそりAmazonでレビューを見てみた。星ヒトツとか残念な結果になっていなくて、少し安心したのであった。

2011年11月1日火曜日

愛想の悪い人に愛想悪く


僕は愛想の悪い人がとにかく嫌いです。
愛想の定義が必要ですね。
国語辞典によれば、
1、人に接するときの態度
2、人に対する好意・信頼感
3、相手の機嫌をとるための振る舞い
など、多義であるこの言葉。
僕が嫌いな愛想の悪い人とは、1と2が欠落している人です。
僕は、接客業を3年以上やってましたが、愛想の悪い客というのは、いつでもどこでもいるわけです。
単にそんな人々にあきあきしたことを、報告したいのではないんです。
接客や電車内での偶発的なシチュエーションにおける愛想の悪さは、甘えだと思うんです。
そういった偶発的に生じたコミュニケーションは、一期一会、その瞬間のみのものであり、時間をかけて対話をすることは前提になっていません。
こういったコミュニケーションの場において、愛想を悪くする所作や行為(辞書によれば、接する態度を悪く、信頼感を得ようとしない行為)をとることは、理解しあうことを一方的に放棄した“甘え”でしかないですよね。
対話というものは、時間をかけて行うものもあれば、一過性のものだってあります。
人当たりという言う意味では、たしかに、最初人当たりが悪くとも、じっくり付き合うことで「あぁ良い人だなぁ」と思う人も、大勢います。
では、街中で見かける愛想の悪いオジサン(一例として)は、一過性の対話をおざなりにして世の中を生きていくのでしょうか。
それは簡単なことかも知れません。それは甘え
飲食店の店員には、もう二度と会わないかもしれないし、ましてすれ違う人なんて顔さえ覚えていません。
でもその甘えは悲しいことだと思います。社会を生きる人々が蒙る明らかな損害です。
ほんの少し愛想よく振舞うことができれば、みんなのご機嫌の総量が少しばかり大きくなるはず。
ベンサムが唱えた功利主義的に言っても、社会が幸せになる(不幸せが生じない)、これまさに「善」なりです。
愛想の悪さを肯定する要素はなにひとつありません。
あれば教えてください。