僕は愛想の悪い人がとにかく嫌いです。
愛想の定義が必要ですね。
国語辞典によれば、
1、人に接するときの態度
2、人に対する好意・信頼感
3、相手の機嫌をとるための振る舞い
など、多義であるこの言葉。
僕が嫌いな愛想の悪い人とは、1と2が欠落している人です。
僕は、接客業を3年以上やってましたが、愛想の悪い客というのは、いつでもどこでもいるわけです。
単にそんな人々にあきあきしたことを、報告したいのではないんです。
接客や電車内での偶発的なシチュエーションにおける愛想の悪さは、甘えだと思うんです。
そういった偶発的に生じたコミュニケーションは、一期一会、その瞬間のみのものであり、時間をかけて対話をすることは前提になっていません。
こういったコミュニケーションの場において、愛想を悪くする所作や行為(辞書によれば、接する態度を悪く、信頼感を得ようとしない行為)をとることは、理解しあうことを一方的に放棄した“甘え”でしかないですよね。
対話というものは、時間をかけて行うものもあれば、一過性のものだってあります。
人当たりという言う意味では、たしかに、最初人当たりが悪くとも、じっくり付き合うことで「あぁ良い人だなぁ」と思う人も、大勢います。
では、街中で見かける愛想の悪いオジサン(一例として)は、一過性の対話をおざなりにして世の中を生きていくのでしょうか。
それは簡単なことかも知れません。それは甘え。
飲食店の店員には、もう二度と会わないかもしれないし、ましてすれ違う人なんて顔さえ覚えていません。
でもその甘えは悲しいことだと思います。社会を生きる人々が蒙る明らかな損害です。
ほんの少し愛想よく振舞うことができれば、みんなのご機嫌の総量が少しばかり大きくなるはず。
ベンサムが唱えた功利主義的に言っても、社会が幸せになる(不幸せが生じない)、これまさに「善」なりです。
愛想の悪さを肯定する要素はなにひとつありません。
あれば教えてください。
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