2012年1月10日火曜日

不気味な絵を制する

言葉は不気味に勝てるのか!



問い:

彼ら彼女らは、なんと言ってるでしょうか。






答え:

「あーやっぱこんな夜だしやってないね!あそこ美味い店なんだけど。また来よ。」








答え:

「あの、ほらあれ、前教えてくれたアプリの名前なんだっけ?」







答え:

「え!?ごめん!一応毎日磨いてるつもり!気になったらごめん!(そんなに口臭かったのかな・・・)」










答え:

「一筆書き、しようと思えばできるじゃん この形!」








答え:

「責任感が強いのとリーダーシップ・・・・・あとは表情豊かなのが強みです!」








答え:

「そうそう、けっこうどこでも横になると寝れちゃうタイプよ俺」




感想:
・・・3枚目は強敵だった。

2011年12月10日土曜日

お下劣きわまる!


お下劣かっこいい!




なんかこう、見ているこっちが小馬鹿にされてるような、
下品でやりたい放題なアートワークが最高にかっこいい。こんな時代だからこそ。

blingee4life:

Miami Satan !








Kiwi.



Hillary Kelly.
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We love dolphins. Or not.




最後に一曲。


2011年12月7日水曜日

2011年、味覚の旅。



1  2  3  4


5  6  7  8


9  10   11  12




何味か。


回答、いきます。


…………………………
………………..
………


1=お吸い物


2=大トロ


3=薬膳火鍋


4=赤身



……………..


5=中華料理屋さんの、いつから置いてあるか分からないラー油


6=お吸い物


7=サフラン


8=抹茶塩



………………


9=菜っ葉


10=ガリガリ君


11= 「うわ・・このおっちゃん、シロップめっちゃかけたな・・」って心の中で呟くブルーハワイ


12= 「うわ・・シロップかけ放題だからって、いろいろ混ぜたら変な色になったわ・・」って心の中で呟くブルーハワイ 









2011年12月6日火曜日

このグロい赤ちゃんの広告が気づかせてくれたもの

広告は好きです。アートとは違って、広告には結果が求められていることが、スリリングで、情熱的で、スポーティにさえ感じます。
でもスポーツとは違い、表現としての広告にルールは決まっていない、つまり手段は無限にある。
とくに最近は手段が増えていくばかり。スマホ、タブレット端末、SNS・・・。
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………….
……
僕は就職活動をしています。そんなときに、気づいたことがありました。
それは
広告代理店という会社が、就職活動支援サイトでは、
「サービス業」にカテゴライズされていることもあれば、
「マスコミ系」というジャンルにカテゴライズされている場合もある、ということです。
広告代理店の仕事は、マスコミなんでしょうか、サービス業なのでしょうか。
サービス、財とは違って目に見えない商品。マス・コミュニケーション、大衆伝達。
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聞こえ方的には、
「サービス業」→エンターテイメント性を有し、ヒトを楽しませるのが目的
「マスコミ」→多くのヒトに正確に伝えるのが目的
ですよね。
さらに踏み込むと、
「サービス業」→主体性をもち、人間味がある感じ
「マスコミ」→受動的で、単なるシステムのような感じ
って言ってしまえると思うんです。
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………….
……
で、ここで、過激な表現で知られる、カジュアルファッションブランド「ベネトン」の広告をまとめたサイトがあったので、載せます。
1枚目は、キリスト教保守派からのエイズ患者差別に対する批判
2枚目は、「人間の血は赤く、尿は黄色い、青い液体など使うべきでないし、もっと現実に目を向けるべき」
オリビエロ・トスカーニというディレクターのこのようなメッセージが篭められているのだそうですよ。
これらの広告をみて、
そもそもファッションなんざまったく関係ないし、表現者の欲求、社会的メッセージを満たすために広告を利用しているんじゃないか
ぬけぬけとショッキングな表現に乗っかって宣伝しているベネトンも調子のりやがって
というような、しっくりこない気持ちを抱く人って多いと思います。
正直最初はそう思いました。
でも、広告業界というフィールドが「マスコミ」にも分類されることもあるゆえん、ここにあるんじゃないかなと思います。
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最近こそ、スマートフォン、タブレットPC、SNS、なんやかんやと、ガジェットがやたら増えてきて、広告は「サービス業」へと舵を切っていますよね。
博報堂スタイルという本のなかでも、「愛される広告」みたいな言葉が使われていた気がします。
けれど、広告=「広く告げる」だから、マスコミ的側面ですよね。
楽しませること優先じゃ、本来の広告の役割を果たしきれていない気がします。
広告の手段として、iPhoneアプリを出してみようとか、SNSでコミュニケーションしようとか、位置情報システムがうんたらかんたらみたい手段が溢れてきているようだけれど、
そんな、デコレーションを身にまといまくった「サービス業」の広告って、自己完結な気がしてならないんです。ちょっと進んでも自分の周りで完結。
「もともと広告表現が好きとか、もっと言えば広告代理店の仕事に興味関心がある者目線」
からしたら、面白くてたまらない。「なんでみんな参加しないの!?」と。
でも「生活者目線」からしたら、どうなんでしょう・・・。
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……
なんだか、バナリパの広告に気づかされたように感じました。
SNSやらで、なんやかんややって、楽しんだ体験よりも、
「うわっ、きも・・・・・」って不快になりつつも印象に残り続ける一枚の写真のほうが、
広告=「広く告げる」ことをしているのではないかな、と思ってしまうのです。
まぁでも、そもそもターゲティングからして違うから広告表現に正解は無いんでしょうけれど。
実際、本当にごく一部だと思うんです。サービス的広告に面白みを感じているのも、実行している消費者の数も。根拠は・・・ありません!主観です。
東京にて「生活者」として暮らし、多くの人間とすれ違うなかで感じているだけです。
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なんだかんだいって、
「新しい物好き狙いの、ガジェットをとりあえず詰め込んだサービスや広告には、もううんざりした!!!」
ということが言いたいことだけなのかもしれない。アプ○ムとか嫌い。

2011年11月10日木曜日

今月つぶれるブックカフェ


とあるブックカフェに初めて行きました。
ご主人はヒライシさんという方。いつ何時も、スーツでいるのがモットーらしい。
お店にはいってそうそう、
「私は、両刀使いなんですよ。」
と告白されました。バイセクシャル。
「そうなんですか。」
「ここ、ほら、座りなよ。」
「ありがとうございます。」
「人類みな両刀使いなら幸せになるでしょ。」
「なるほど。」
「わたしなんかね、得してますよ。」
「博愛ですね。」
「そうそう。でね、若いころは新宿2丁目で随分遊んでたなぁ。」
「へぇ」
………………..
ブックカフェなので、コークハイを飲みながら適当に選んだ本を読んでいたら、常連さんが現れた。
「どうもどうも!」
「おお、来たか来たか」
「ひらいしさん、この店も今月中なんですか。」
「そうそう。あ、あなたね(僕を指して)この店今月で終わっちゃうんだ。」
初めて来たお店が、一ヶ月以内に潰れてしまうなんて、まるで自分が貧乏神になったような気分。
「(本を指して)こいつらの嫁ぎ先をさ、ほら見つけなくちゃ。」
………………..
ヒライシさんは、落胆している感じを見せてなかったけど、メガネの奥ではちょっとウルッときてたように見えた。
僕はといえば、ウルッとはこなかったけど、せめてヒライシさんによって選ばれた多くの本達には、良い嫁ぎ先が見つかればいいなと思うばかりだった。
で、この本を嫁にもらうことにした。
ヒライシさんが選んでくれたので、じっくりと読んでみようと思う。
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ちなみにこっそりAmazonでレビューを見てみた。星ヒトツとか残念な結果になっていなくて、少し安心したのであった。

2011年11月1日火曜日

愛想の悪い人に愛想悪く


僕は愛想の悪い人がとにかく嫌いです。
愛想の定義が必要ですね。
国語辞典によれば、
1、人に接するときの態度
2、人に対する好意・信頼感
3、相手の機嫌をとるための振る舞い
など、多義であるこの言葉。
僕が嫌いな愛想の悪い人とは、1と2が欠落している人です。
僕は、接客業を3年以上やってましたが、愛想の悪い客というのは、いつでもどこでもいるわけです。
単にそんな人々にあきあきしたことを、報告したいのではないんです。
接客や電車内での偶発的なシチュエーションにおける愛想の悪さは、甘えだと思うんです。
そういった偶発的に生じたコミュニケーションは、一期一会、その瞬間のみのものであり、時間をかけて対話をすることは前提になっていません。
こういったコミュニケーションの場において、愛想を悪くする所作や行為(辞書によれば、接する態度を悪く、信頼感を得ようとしない行為)をとることは、理解しあうことを一方的に放棄した“甘え”でしかないですよね。
対話というものは、時間をかけて行うものもあれば、一過性のものだってあります。
人当たりという言う意味では、たしかに、最初人当たりが悪くとも、じっくり付き合うことで「あぁ良い人だなぁ」と思う人も、大勢います。
では、街中で見かける愛想の悪いオジサン(一例として)は、一過性の対話をおざなりにして世の中を生きていくのでしょうか。
それは簡単なことかも知れません。それは甘え
飲食店の店員には、もう二度と会わないかもしれないし、ましてすれ違う人なんて顔さえ覚えていません。
でもその甘えは悲しいことだと思います。社会を生きる人々が蒙る明らかな損害です。
ほんの少し愛想よく振舞うことができれば、みんなのご機嫌の総量が少しばかり大きくなるはず。
ベンサムが唱えた功利主義的に言っても、社会が幸せになる(不幸せが生じない)、これまさに「善」なりです。
愛想の悪さを肯定する要素はなにひとつありません。
あれば教えてください。

2011年10月1日土曜日

事故ブランディング


最近友達との会話の中で、ジョークで自己ブランディングって言葉を使います。
●必ず日清カップヌードルはフォークで食べるヤツに対して
「お前のそれは自己ブランディングかよww」(キムタクみたいでかっこいい。)
●大抵おやつにポテトスナックを食べていたヤツに対して
「あいつの自己ブランディングは成功していたww」(ポテトスナックを見るたびに、休み時間の彼の姿が目に浮かぶため。)
などなど、いろんな使い方があるわけですね、自己ブランディングという言葉には。そして僕はこの言葉が好きです。自己ブランディングできている人も好きです。自己ブランディングを試みている人はもっと好きです。
自己ブランディングすること≠目立つこと
でると思います。
目立つことってのは自分が周囲に一方通行で発信する欲求に重点を置くのに対して、自己ブランディングは、相手がどう自分のことを感じるのかという観点ですよね。受動的。
だから目立たないこと、飾らないことが自己ブランディングしていることとして、通用する。そこがミソだと思います。あえて目立たないのか、本当に質素なのかは問わずに。
そもそもtwitterやfacebookや、今まさにブログを書いているtumblrなどのブログサービスが浸透して、ブランディングの無理やり感がなくなり、だからこそ、ありのままの日常がかっこいいヤツが、本当にかっこいいんじゃないかって思う節が出てました。
それがここでいう自己ブランディングの始まりなわけで
それまでは
「目立ちたいっていう欲望が無かったし、目立つのも恥ずかしいし、目立つためになにかをするのもメンドクサイし」って考えてた人たちが、ソーシャルメディアによって細々とでも発信する場所を得たときに生まれた“何か”が本当に面白いと思います。
だからこそ、今まで黙ってて出てこなかったブランディングが、ツールを得て表面化したことで、いろんなかっこよさの種類が解禁された気がします。
みんな、派手でも地味でもシンプルでも、自分の価値観を積極的にブランディングしていくべきだと思います。そうすることで新しいかっこいい、かわいい、きれい、の価値観が生まれてくるのでしょう。
僕も多くの新しいかっこよさに巡り合いながら、自己ブランディングしていこうと思います。
あ、タイトルを事故ブランディングにしたのは、あれです。あの、飲酒運転やら、カンニングやら、なでしこ合コンやら、しょうもないブランディングの仕方をしちゃうお馬鹿が騒がれているところだったので。
まぁやっぱり、悪行をオープンにする欲求って本能的にあるんでしょうね。最後に僕も負けじとワルな自己ブランディングをしようと思います。
夏のある日に行ったスーパー銭湯のタオル、返却しなきゃなのにパクって帰ってやりました。反省もしてません。
反省。